昨年、イギリスのインディペンデント紙が世論調査をし「74%の人々が、ネクタイは今後50年以内に消滅すると予測している」という記事を掲載したそうです。
これは菅付雅信氏の著書「中身化する社会」で取り上げられていた話ですが、他にもいくつかの事例が紹介されています。
著者が昨年ニューヨークを訪ねたとき、オフィス街を行き交う人々の装いがすごくカジュアルになっているのが印象的だったと言います。
ニューヨークだけでなく、BBCニュースによると「英国ビジネスマンで毎日スーツを切るのは10人に一人」とのこと。
そういえば、僕もこのブログで「スーツやめます」宣言をしてからそろそろ一年です。
結局、この一年でネクタイを締めた回数は、2-3回だったでしょうか。
でも僕だけでなく、たしかに周囲の同僚も、カジュアルな装いが増えてきました。
ジャケットは着ていても、ネクタイまでしている人は少ないかもです。
上記の本では、これはソーシャルメディアが浸透した影響ではないかと述べられています。
今や初対面の人と会うときに、ネットで検索して事前情報を得ることが当たり前になりつつあります。
こうなると、ネットで検索された結果こそが、その人の第一印象になります。
よって、外見の第一印象がそれほど重要ではなくなってきているというわけです。
2005年に「人は見た目が9割(竹内一郎著)」という本がベストセラーになりました。
人は最初に与えた情報で、ほとんどが評価されてしまうというものです。
その頃はまだ、外見=含むファッションは、その人がどんな人かを表現するもっとも早いコミュニケーションだったのでしょう。
しかし、フェイスブックやツイッターの浸透で個人情報がネット上に流通するようになり、その人の外見を見る前に、どういう人かという中身を知ることになりました。
つまり、ネットの「検索結果」が見た目のファッションよりも早いコミュニケーションになったわけです。
本書の見解は、そんな背景から「中身が伴っていないのに見栄をはって服装だけラグジャリーやフォーマルだと格好悪い。だから人は等身大のカジュアルスタイルになってきた」というものです。
なるほど、と思いつつも、僕はもう少し深いインサイトもあるかなとも思います。
それは、上記のような「中身で勝負の時代」が来ていることを理解した上で「僕って中身で勝負している人なんです」という表現としてカジュアルを装っているということです。
であれば、決して見栄がなくなったわけでなく、新しい時代の価値観に基づいて「新しいカタチの見栄が生まれた」と言えますよね。
それはやっぱり、まだ中身で勝負してないのかも知れません。
もちろん、僕も含めての話です(笑。
今日は、このへんで(^^