昨年末にベストセラーになった、伊賀泰代さん著の『採用基準』を読みました。
著者は、17年間マッキンゼーに務め、そのうち12年間を採用担当を務めたとのこと。
そして、その正体は人気ブロガーのちきりんさんというから驚きです。
(いや、僕もちきりんさんの講演に行ったことありますし、マッキンゼーの友人から聞いてはいましたが、まさか本名で出版するとは・・・)
この本は、リーダーシップというスキルの重要性を説いたもの。
世間でマッキンゼーの採用基準は、地頭の良さや論理的思考能力がある優等生だと考えられていることが大きな誤解とのことなのです。
マッキンゼーの採用基準はグローバルで統一されていて、
①リーダーシップがあること
②地頭がいいこと
③英語が出来ること
の3つとのことです。
そして、現地法人には現地語ができることが求められるため、日本法人には上記に加えて、
④日本語ができること
が加わるとのことです。
その基準を満たす候補者を日本で捜すと、日本人ではなく、中国をはじめとするアジア人留学生が多くひっかかるというのです。
うむ、まあそうでしょう。
うちに会社でも、多くの中国籍の学生が新卒で入社してくるようになっています。
もはや日本語ができる=日本人ではないわけです。
で、日本人は、②は多くいるのですが、①と③が圧倒的に足りないとのこと。
③の不足は認識されているが、①、つまりリーダーシップに関しては、必要性の認識すら不足しているというのです。
そこには、リーダーシップに関する根本的な認識違いがあります。
日本では、組織の中に一人リーダーシップを発揮する人がいれば、あとはその人についていけば良いと考えています。
しかし、本来リーダーシップというスキルは、全員が身につけ、自分の仕事については自分がリーダーであるという認識を持つことが必要なわけです。
それは仕事現場だけに限りません。
近所の寄り合いで余ったお菓子を「持って帰りたい人、お子さんのいる人はどうぞお持ち帰りください」と声をかけたり、大雪などの緊急時にタクシー乗り場で列を作る人たちに「◯◯方面の方は一緒に行きましょう」と相乗りを呼びかけるなども、リーダーシップです。
ただし、リーダーシップは、成果目標があって初めて必要とされるものです。
努力でもプロセスでもなく、結果を問われる場合に必要となるわけです。
町内会のお祭りでも「楽しければよい」のであれば、リーダーシップは必要ありません。
どんな出し物をしようが、どんな出店を出そうが、多数決や地元の長の意見で「和」を尊重すればいいわけです。
日本人はリーダーシップより、この「和」を好むというのです。
楽しければよいのであれば、それでもいいでしょう。
しかし、ここにたとえば「利益を被災地に寄付する」など、「収益を最大化する」という成果目標があると話は変わります。
その目標がみんなに共有されれば、それぞれが「それではダメだ、こうしなければならない」と発言し、意見が交わされるはずです。
これこそが、それぞれが持つリーダーシップです。
しかし日本には、この認識が希薄なため、解決されずに放置されている問題が山積みです。
大きな組織でも、成果目標が共有されていなければ、わざわざ隣の部署に意見して、和を乱すことなどしません。
日本を代表する家電メーカーが、優秀な人材を抱えつつも巨額の赤字を出し、主力部門で何年も利益が出ないまま放置されているのは、組織全体での成果目標の共有とそれに伴うリーダーシップの不足に原因があると指摘されているのです。
また、僕ら個人にとって大事なことは、リーダーシップを身につけると「価値の転換」が起きるということです。
これまで、組織にひとりカリスマ的リーダーがいれば良いと考えていた僕らが、全員がリーダーシップが必要と認識し、それを実現していくと、大組織への依存心がなくなっていきます。
つまり、「自分がリーダーとなってやりたいことをやる」という意識が芽生えるのです。
そういった人は、起業したり、ファンドを立ち上げたり、NPOを設立したり、中小企業やベンチャーに参画したり、自分の力で道を拓いていこうとします。
ここ何回かこのブログでは「自分のキャリアと人生を自分の手で切り拓く」というテーマを取り上げてきました。
そして、それに不可欠なのは、リーダーシップというスキルだというわけです。
いやいや、大変勉強になりました。
ということで、今日はこのへんで(^^