千利休に学ぶ「サプライズ」のもてなし

今、ちょっと長い原稿を書いていてヘロヘロになっているのですが、今日はその中で取り上げているエピソードを少し紹介しますね。

ソーシャルメディアを活用した顧客対応では、温かみのある「誠意あるもてなし」が大切というようによく言われますよね。
もてなしというと、人に喜んでもらうための「やすらぎ」だったり、「笑い」だったり、あるいは「感動」だったり、そのようなことがイメージされます。
が、高度なもてなしの技術として「サプライズ」つまり、「驚かす」というものもありますよね。
これは、うまく演出すると、「究極のもてなし」となりそうです。

この「サプライズを研究する」というのをやっているのですが、武者小路千家の家元後継の千宗屋さんの著書に「千利休の朝顔の茶会」という、いいエピソードがありました。

朝顔は、千利休の時代はとてもめずらしい花だったらしいです。
時の将軍だった豊臣秀吉は、朝顔というめずらしい花が利休の庭の垣根に満開に咲いているといううわさを聞きつけます。
で、秀吉は「ぜひその朝顔なる花を見てみたい」と言い、利休は「では、明朝、花の咲く時刻にお待ちしております」ということになったと。

翌早朝、めずらしいものに目のない秀吉は、庭に咲き乱れる朝顔なる花を想像し、まだ見ぬ美しさに妄想を膨らませ、わくわくと胸を躍らせて利休を訪ねてきました。
ところが、秀吉が到着しても、そこにはいつもと変わらない茶室があるだけで、どこを探しても朝顔らしき花は見つかりません。
「これはどういうことだ!」と秀吉は怒り、茶室を開けて飛び込んだ瞬間、視線の先にある床の間に大輪の花が一輪、ぽっかりと浮かび上がるように咲いていました。

朝露を帯びて、ひっそりと息をするように咲く朝顔の美しさに、秀吉は言葉を失い、ただ見とれるばかりだったと言います。
で、これは利休の演出だったわけです。
夜が明ける前に、庭の朝顔を一輪だけ残して全て摘み取ってしまい、残されたひとつの花を床の間に置き、その一輪に秀吉の膨らんだ妄想に対する応えを託したということ。

庭の垣根に咲く満開の朝顔は美しいけど見てしまえばその感動は一瞬で終わってしまう。
秀吉の期待の大きさからすると、「なんだこの程度か」と拍子抜けしてしまうかも知れません。
だから利休は、一輪に切り詰めることによって、その花が乱れ咲く垣根の様子を想像させるようにして、現実を超える朝顔の美しさを思い描かせようとしたわけです。

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期待を裏切られたと落胆した次の瞬間、期待以上のものがパッ目の前に開けたことで秀吉は、驚きと喜びを感じたでしょう。
これこそがサプライズ。客人の裏をかく高度なもてなしの技術というわけです。

利休はこのような卓越したコミュニケーションを駆使して商人としても成功を収めたのです。
その結果として確立された「千利休」ブランドは今も揺るぎないものとなっているというわけです。

こんなエピソードを聞くと、ちょっとビジネスでも活用してみたくなりますよね。
でも、あくまで高度な技なので、下手をすると怒りを買うだけかもですね(笑。
今日はこのへんで。(^^