なぜ、人生に「想像力」が大事なのか?

ここ最近、時間に追われて、読書の量が減ってきてることが気になっています。
(一昨年は、週10冊読んでましたからねえ・・)
読書だけでなく、映画やライブ、旅行に行ったりする回数も減っていて、意識して挽回しないとなあ、と思っています。

なぜ、読書、映画、ライブ、旅行などの時間を大切にしているかというと、これらは、「想像力」を養うために、すごく大事だと思っているからです。
特に読書は、新しい情報を得るというだけでなく、文字情報から、情景や心理までも想像していくという、いいトレーニングになりますよね。

では、なぜ「想像力」が大事なのでしょうか?

それは、人は結局「想像できないところにはたどり着けない」と思うからです。

「ありたい姿」を具体的に想像できてこそ、そこに向かうことができる。
「ありたい姿」が具体的に想像できないと、そこへたどり着くどころか、向かい方すら分からないと思うのです。
こう書くとあたりまえのようですが・・。

$京井良彦の3分間ビジネス・スクール-imagination

「ありたい姿」とは、想像力を駆使して見える「ゴール」です。
そのゴールと、いま自分のおかれている現実とは、大なり小なり、ギャップがあるでしょう。

そのギャップが「課題」ということですね。

仕事をしていて、よく、課題、課題、という言葉を耳にします。
でも、それは結構、安易に使われていて、本当の意味で「課題」という言葉が使われていることは少ないように思います。
なにか問題点を見つけては、「新しい課題が見つかった」みたいな。

課題とは、ゴールと現実、つまり「ありたいと想像する姿と、自分の現状のギャップ」のことです。

それをどうやって解決していくのでしょうか?

既に、いろいろと言われていることですが、一見、手が届かないように思えるゴールとのギャップをブレイクダウンして、ひとつひとつを小さな課題に分けて、それを地道に解決していく。
時間の制約のなかで、そのプロセスを積み重ね、やっとゴールにたどり着く。
これが、大きな課題の一番確かな解決方法でしょう。

まあ、人生は、この地道な作業の繰り返しなんだと思います。

だからこそ、最初の想像力が大事。

釣りで、釣り竿の糸を、遠く海に投げ込むところを想像しましょう。
最初のひと投げがどこまで届くかで、魚のいる領域、つまり可能性の領域が決まります。

想像力の大きさが「自分の人生、どこまで遠くまで行けるか」という最初の可能性の枠を設定するんだと思うのです。

そんなひとりひとりの大きなゴール設定が、人類の発展を支え、世の中をいい方向に向けていくんじゃないかなあと。

・・・えーと、だんだんと、大げさになってきました。

ということで、忙しいを言い訳にしないで、もっと本を読んだり、映画なんかを観たりする時間をつくらなきゃなあ、という話。
はい、今日はこのへんで(^^;