前々回のエントリーなどからもお分かりの通り、ここ最近、「自分のアタマで考える」ということを意識しようと、がんばっています。
で、今さらかもですが、話題になった石角友愛さんの著書「私が『白熱教室』で学んだこと」を読みました。
石角さんは、お茶の水女子大付属高校在籍中に、暗記中心の勉強に嫌気がさして中退。
16歳で単身渡米し、ボーディングスクールに入学。
オバマ大統領の母校であるオキシデンタル大学を出た後、ハーバードビジネススクールでMBAを取得し、今は子育てをしながら米国のグーグル本社に務めているという経歴の方。
この本に書かれている「本当の勉強とは?」という考え方に、あらためて共感しました。
つまり、日本における勉強の定義自体が、世界標準と根本的に違っているというのです。
日本のおける勉強は、大まかに言うと「答えの出し方を覚えるもの」です。
要するに、「ハウツー」というもの。
一方で、アメリカ(を世界標準といって良いかはまた別の問題ですが)では、「答えのない物事」を「考えること」が勉強です。
この本にも例として取り上げられていますが、たとえば、ハーバードの有名なマイケル・サンデル教授の授業テーマは、正義や道徳です。
日本における道徳の授業はどんなイメージでしょうか。
小中学校で、「人さまに迷惑をかけてはいけません」というようなことを「教わる」という感じですよね。
これを「先生から教わる」ことで、生徒たちは「常識」だと受け入れるわけです。
しかし、サンデル教授の授業で「人さまに迷惑をかけてはいけません」というテーマを取り上げると、どうなるでしょう。
「そもそも人さまとは誰をさすのか、迷惑とはどう定義されるか」から始まり、「いかなる状況でも、自分の幸福よりも他人の幸福を優先すべきなのか、それが社会全体の幸せにつながるのか」と、問題を深く追及していくことでしょう。
こういった問題に、唯一の正解はなく、考えるとキリがありません。
しかし、個人や各国の経済的豊かさ、国際平和などを考える際に必ず出てくる問題です。
だから、ハウツー的に正解を出すのではなく、あらゆる状況のなかで「考える」こと自体に意味があるわけです。
「人さまに迷惑をかけてはいけません、謙虚に生きましょう」などと、分かったような顔で語る人ほど、人さまのことを深く考えておらず、言われたままを表面的に受け入れているだけで、ちゃんと自分のアタマで考えたこともないのかもしれませんね。
この本でも指摘がありますが、日本経済における「ガラパゴス化」などと言われる問題の本質は、そもそもこういった「勉強という定義自体がズレている」あたりからきているのかもしれません。
とにかく、「これまではこうだったから」ということを、一回リセットして、ゼロから自分のアタマで考えてみることが大事なんだと思います。
今は時間の許す限り、どんな課題に対しても、こんな意識で臨もうと思っています。
ということで、最後に宣伝。
そんな思考で書いたつもりの本「つなげる広告」は、都内大手書店では既に絶賛発売中です。
全国的には、明日6月11日からですので、ぜひ手に取ってみて下さい。
では、今日は、このへんで(^^