スーツをやめて考えた、常識って何なのか?

みなさん、3連休はいかがお過ごしになりましたか?
明日から、また仕事という方も多いと思います。
僕もそうです。
が、以前と違い、あえてオンとオフの気持ちを切り替えないようにしています。

そのひとつの意思でもありますが、僕、最近になって会社にスーツを着ていくのをやめました。
(仕事でお会いしている方は、ご存知ですよね)
それは、環境省が「スーパークールビズ」を提案しているから、というわけではありません。

ちなみに、スーパークールビズって、これは◯、これは△など、細かな決まりがあるんですね。
Tシャツは無地のみ◯、ジーパンは破れていないものであれば◯、Tシャツをジーパンに入れて着ましょう・・・と。
なんかカッコ悪いですね。
というか、そういうことって、ルールで決められるものじゃないなあと。

僕の場合、節電運動に参加してスーツをやめたのではなく、「ワークスタイルとしての服装も自分のライフスタイルの一環である」ということに、遅ればせながら気づいたということなんです。
どう生きたいかを決めて、ライフスタイルを決めて、ワークスタイルを決めるというあたりまえの順番に戻したということですね。

「20年間、スーツで仕事することが常識と思っていたけど、それって別に常識じゃなかったんだなあ」と。
そんなことを考えていると、本田直之さんの著書に「常識とは何か」についてふれらているものがありました。

これによると、常識は5つに分類されるといいます。
①法に基づいた常識
②人間関係上の常識
③時代遅れの風習
④他人の都合で作られた決まり事
⑤相手が優位に立つために常識と名付けたもの

①は、常識として受け入れ、守るべきものです。
しかし、②は、冠婚葬祭など、相手との関係で判断するものです。

では、③、④、⑤はどうでしょう?
③は、書類にハンコが必要などの社内の古いルールなど。
④は、他人が「人を管理しやすいため」に作ったルール。
会社で言えば、9時ー5時の勤務時間や昼休みの時間、仕事の服装もそうでしょう。
⑤は、「先輩の酒を飲むのは常識だ」のようなものです。
これらは疑ってかかるべきで、常識ではないと捨ててしまうものは捨ててしまっていいものです。

もちろん、全面否定するわけではありません。
③ー⑤も、プロジェクトを効率的にするために必要な場面もあるでしょう。

ただ、なぜそういうルールになっているのかを、思考停止のまま鵜呑みにするのはやめて、自分のアタマで考えてから従うかどうかを判断していこうと思うのです。
自分の人生なので、そのほうが手応えがあるし、楽しいじゃあないですか。

ということで、明日も楽しくやりましょう。
今日はこのへんで。