フェイスブックで考えるペルソナとシャドー

先日、早いうちから先行してフェイスブックを活用している人から、「最近、グループ機能しか使わなくなってきた」という話を聞きました。
「フェイスブック友だち『全員』と共有したいネタというのは、そうそうあるものじゃない」というのです。
なるほど、やはりフェイスブックもそっちの方に行くのかなあと、ちょっと心配になりました。

これ、フェイスブックを使っている方は、よくお分かりだと思います。
やり始めたときの友だちは、自分が素で付き合える仲間が中心です。しかし、徐々にいろんな友だちが増えてくると、バカな話をなんでもかんでもアップするという感じじゃなくなってきますよね。

そもそもフェイスブックは、リアル世界のソーシャルグラフをそのままネット上に持ち込むことが狙いですから、使い続けているうちに、リアル世界と同じように、分別をわきまえた言動をする必要が出てくるわけです。
つまり、フェイスブックにアップされる情報は、「素の自分」というより、「他人からこういう自分として見てもらいたい」という内容になっていくる。

これは、ユングの精神分析では、「ペルソナ(仮面)」と、「シャドー(影)」という言葉で説明されます。
「ペルソナ」とは、感情や欲望を抑制して社会的に作り上げられた「外面的な役割としての人格」であり、「シャドー」とは、そこから望ましくない人格として排除された、「生きられなかったもう一人の自分」のこと。

人は、誰しもこの二つの顔を持っており、これを統合しながら社会生活を送っています。
しかし、この二つの顔にあるギャップがあまりにも広がると、統合が困難になり、自己をコントロールできなくなります。これが統合失調症というものです。

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村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する五反田くんは、俳優としての自分と本来の自分とのギャップに苦しみ、自己をコントロールできなくなり、殺人という行為を繰り返してしまいます。

いやあの、ちょっと怖い話になってきましたが、フェイスブックのニュースフィードにアップされる友だちの近況が、リアル世界と同じようにペルソナ化していくと、ちょっと面白くなくなるなあと思うわけです。

だからといって、グループ機能ばっかり使っていても、内輪の話で盛り上がるのは確かに楽しいのですが、タコツボ化して広がらない。
逆に、ゆるいつながりの友だちが、僕ではない他の人に向けた素のコミュニケーションが、僕にとっては新鮮な情報だったりする。
こういった、ズレによる新鮮な情報の拡散が、ソーシャルメディアの醍醐味だったりするわけです。

というわけで、僕自身もできるだけ公開ウォールでの情報シェアを心掛けますので、みなさんもグループ機能でのコミュニケーションは、必要最低限にしていきましょうねという話。
そして、ペルソナ化した情報も必要最低限に。
でないと、つまらないじゃないですか(笑。

では、今日はこのへんで。(^^