たいていの仕事は本当はいらない?

山崎将志さん著の『仕事オンチな働き者』を読みました。

で、本の中で興味深い考察がありました。

「たいていの仕事は本当はいらない」というものです。

僕たちの仕事は、たとえBtoB、つまり法人相手のビジネスであっても、それがモノやサービスの形になって、最終的に個人によって消費されることに変わりありません。

でも、今の世の中、そのモノやサービスは、人間の生命維持という根っこの部分には、ほとんど関係ないものばかりです。

京井良彦の3分間ビジネス・スクール-家族

日本国憲法には「すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」とあります。

そして、厚生省のウェブサイトには、生活保護法による最低生活費の試算があります。

父(33才)、母(29才)、子ども(4才)の東京在住の標準家庭で、最低限必要な収入は、年間290万円とあります。

一方、日本人の一世帯当たりの平均所得は547万円。

乱暴に言うと、平均世帯において、年間250万円が生命維持とは関係ない余剰収入ということです。

つまりこのお金は、大画面テレビ、ゲームソフト、外食、お菓子、お酒、キャラクター付き文房具などなどの消費に充てられているということ。

さらに、「健康で文化的な最低限の生活レベル」を維持するための作業、つまり食材確保、炊事、洗濯、住居の安全確保などの技術が飛躍的に向上したため、僕たちは時間が余っている。

その余った時間をどう消費していくかという欲求に応えていくことが、大半のビジネスの課題になっているのです。

だから、僕たちのたいていの仕事は人間の生命維持とは関係なく、本当はいらなくてもそんなに困らない。

そんな高度な欲求に応えて、ビジネスを維持していかなければならないのです。

と、ここまでが、本書での考察。その通りですね。

しかし、震災後は、また少し変わってきているようにも思います。

僕たちは、必要以上のエネルギーの消費に、疑問を持つようになってきています。

つまり、こういった余剰時間の消費は、十分なエネルギー供給に支えられていることが前提だったのですね。

原発問題に端を発し、今後は、限られたエネルギーを費やしてまで活動するほどのものなのか、という意義を問われるようになると思います。

人々の幸福感も、また変わってきていると思います。それも、急速に。

人間の生命維持について、個人としてではなくて、公的規模で考えるようになってきている。

そして、その実現にハピネスを感じるようになってきていると思うのです。

そんなことによって、企業活動が追求するモノやサービスが、「人間の新しいハピネスに貢献していけるのか」が、ますます問われるようになってきていると思います。

要は、「いらない仕事」から、「ちょっとでもいる仕事へ」という個人個人の意識のシフトが求められているんじゃないかなあ、というような気がしています。