今までの広告のやり方を変えるってどういう意味?

最近、埋もれるぐらいに仕事が入ってきて、久しぶりにヒーヒー言っております。
(このご時世、ありがたいことなのですが)
で、依頼される仕事の多くは、ま、簡単に言うと、今の広告のやり方を変えたいというもの。

じゃあ、今までの広告のやり方って、何か?
それを変えるっていうのはどういうことか?

その都度、知恵を絞って解を探しているわけですが、最近、別途お受けしている、大学での広告論講義を重ねるうちに、それがどういう意味なのか、大きな概念として自分の中で整理されてきました。

少し前ですが、その大学の講義で「商標の誕生」をテーマに話をしました。
商標というのは、森永のエンゼルマークとか、福助のマークとか、花王の月のマークとか、海外で言えば、ミシュランのタイヤキャラ(ミシュランマンという)とか、ビクターの蓄音機を聞く犬(ニッパーくんという)とか。

$京井良彦の3分間ビジネス・スクール-福助

実は面白いことに、上記を含めた商標の多くは、1900年から1905年というわずか5年の間に、大量に出現しているんです。
これが、何を意味するか分かりますか?

それまでの商売は、町の三河屋さん、呉服問屋、または富山のくすり売りだってそうですが、決まったお得意さんがいて、そのお得意さんとの日常的な付き合いで商売が成立していました。
「このお得意さんは、前回どれくらい買ってもらって、そろそろ、減ってきた頃で、今度は新しいものを勧めてみる」などのスタイルで、同業者であっても、それぞれがお得意さんを抱えていて、うまく棲み分けができていたわけです。

しかし、産業革命後、そんな平和な環境のなかに、欧米の大量生産技術が急速に普及してきたんですね。
大量生産とは、どういうことでしょう?
今までは上記のように、お得意さんの顔を見て付き合い、そのなかでニーズを把握して商売をしてきたわけですが、今度は「顔の見えないお得意さん」に、見切り発車で、規格品を量産していかなければならなくなった。これが大量生産です。

大量に商品を生産するので、これまで棲み分けられていたお得意さんの領域も、奪い合うようになっていきます。
そのときに、「顔の見えないお得意さん」に対して、自社の商品と他社の商品を見分けてもらうための目印が必要になってくる。
うちの商品は、他よりも良いですよ、という目印。
この目印が、「商標」の誕生というわけです。

この商標が、たった100年前あたりから大量に出現してきた。
これこそがつまり、顔の見えないお得意さん=「消費者」の出現を意味するんですね。
それまでは、消費者、Consumerなんて、言葉すら存在しなかったらしいのです。

こうなると商売は、大量生産して、消費者に大量消費を促すというモデルになっていきます。
そして、その推進役になったのが、広告の大量出稿なのです。

つまり広告というものは、「大量生産大量消費」という商売モデルの登場と、その後すぐにきた新聞・テレビなどの「マスメディアの登場」が相まって、ここ100年で、おそろしく急速に発展してきたものなのです。

ところが、たった100年で巨人と化した広告に、大きな変革を迫るものが現れます。
ご存知、インターネットの登場です。
要は、オンライン上で商品取引から決済まで完結する新しい取引市場が生まれたということ。
これによって、マス広告をフル活用した大量生産、大量消費のビジネスモデルが、一部であれ、崩れ始めたのです。
業種によっては、PC業界のように、デル・コンピュータのようなオーダーメイドビジネスが、IBMの規格品ビジネスを凌駕するようなことが起きるなど、商売の思想自体に大きな変革を迫ったわけです。

そしてついに、ソーシャルメディアが浸透していく。
と、完全に相手の顔が見え始める。
こうなると、大量生産以前は当たり前だった「顔の見えるお得意さん」が復活してくるわけですね。

これが、フィリップ・コトラー教授がいう「マーケティング3.0」ということで、要するに町の三河屋さんのビジネスモデルが、テクノロジーに支えられて高度に復活するということなんです。

こんなふうに見てくると、今までの広告のやり方を変えるということは、単にクリエイティブ表現を新しくしたり、起用しているタレントを変えることや、キャンペーンのプレゼント内容を変えるとかいうレベルの話ではないということが分かりますよね。

今までのやり方を変えるということは、つまり、20世紀型の大量投下型、空中戦の広告を見直して、気持ちとしては100年前の人間らしい商売に戻しつつ、テクノロジーの力でこれまでにはなかった高度なつながりを実現していくものだ、と思うわけです。はい。

えーと、新幹線の中で書いていたら、ものすごーく長くなってしまいました。
ご容赦ください。(^^;

では、今日はこのへんで。