ジョブズ氏が真のイノベーターと言われるわけ

先日、スティーブ・ジョブズ氏の逝去を悼み、その想いを述べたばかりですが、もう一度ぐらい、ジョブズ氏の話を取り上げても怒られないでしょう。

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僕は、6月に開催されたカンヌ・クリエイティブ祭で、マルコム・グラッドウェル氏のセミナーに参加したのですが、そこでグラッドウェル氏は、ジョブズ氏を例に「イノベーション」とは何かという話をしていました。

もう有名な話ですが、1979年にジョブズ氏は、シリコンバレーにあるゼロックス社のパロアルト研究所を見学します。
彼はそこで「マウス」なるもので画面上のポインターを動かしたり、アイコンをクリックすることで「ウインドウ」を開いたり閉じたりするデモを見せてもらい、飛び跳ねんばかりに興奮したといいます。

ジョブズ氏はこのアイデアをアップル社に持ち帰り、すぐに次世代パーソナル・コンピューターの開発に取り組んでいたチームに方向転回を告げ、メニュー画面を作り、ウインドウやマウスなるものを開発するように命じました。
かくして生まれたのが、革新的コンピューター「マッキントッシュ」。

マッキントッシュに盛り込まれた革新的機能の多くは、ゼロックスのパロアルト研究所が開発したものなのです。
逆に、ゼロックス社は手元にあったチャンスをものにすることができなかった。
これが有名な「パロアルトの伝説」という話です。

語り方次第で、ジョブズ氏が、アイデアをパクったようにも伝えられるこの話ですが、グラッドウェル氏の主張は違います。

ゼロックスは、コンピューターの専門家向けにこの技術を活かそうと考えていました。
しかしジョブズ氏は、デモを見た瞬間に、大衆・万人向けにこそ、この技術は活かせると考えた。
つまり、目のつけどころの違いだけで、ゼロックス自身は利益を生む製品として結実させることができず、ジョブズ氏は、革新的製品として世に出すに至ったわけです。
ゼロックスの例だけでなく、iPodだって、ソニーかコンパックが先に世に出していてもおかしくなかったと言われています。

既にあるテクノロジーを、どのように人の役に立つものに仕立てるか=利益を生むものにするか。
それこそがイノベーションであって、別に最初にテクノロジーを発明した人がイノベーターというわけではないと、グラッドウェル氏は説明していました。

ジョブズ氏は、技術者ではないし、クリエイターという言い方も当てはまらない気がします。
アップルの創業は、共同経営者であるスティーブ・ウォズニアックの天才的技術者ぶりにお任せ、出資は年長のマイク・マーラーにお願いし、経営はペプシの社長、ジョン・スカリーに頼るというもの。
その後の成果から、結果として、すばらしい経営者としての評価を得ましたが、それは従来の経営というものとはまた違う、いわば「カリスマ」というものでした。

これらのことに対して、ジョブズ氏本人はこんなことを言っています。
「多くの企業は、すぐれた技術者や頭の切れる人材を大量に抱えている。でも最終的には、それを束ねる重力のようなものが必要になる」

ジョブズ氏は、技術や経営の能力はなくても、時に暴君、時に救世主として君臨し、敗残にも絶対に屈しないネバーギブアップの精神を見せつけました。
そんな生き様が、人を惹き付け、知恵と情熱を引き出し、技術と資金と人材を、足し算ではなく、かけ算にして世界を変えてしまったのだと言われます。

これこそが、ジョブズ氏が真のイノベーターと言われる所以であり、だから、カリスマなのです。

スタンフォード大学のスピーチで有名になったエピソードがあります。
ジョブズ氏は、17歳のときから毎朝鏡を見て自問していたという話。

「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」
そして、その答えが「いいえ」であるたびに、何かを変える必要を悟ったと言います。

それが結果として、生き急ぐことのなったのかは分かりません。
しかし、そう問いかけ続けたことが、イノベーションを生み出す原動力につながったことに間違いはないでしょう。

カリスマといわれるに至ったのは、真のイノベーションを追求しつづけた日々の積み重ねであり、その根底にあるものは泥臭く、粘り強いネバーギブアップの精神だったというわけです。

本人の話はもう聞くことはできませんが、まだまだ学ぶところはたくさんありそうですね。

あっ、写真は香港の学生がデザインして話題になったジョブズ氏追悼ロゴです。