「カンニングOK」な社会への転換

ダニエル・ピンクの「ハイコンセプト」にある、大前研一さんのコメントに同意しました。

情報化社会での生き方、考え方の参考になると思ったので、まとめておきます。

21世紀、われわれはどう生きていくのか?

これまでのように学校でよい成績をとっても潰しがきかなくなっています。

義務教育で教えられているようなことは、メモリチップにおさめたら、せいぜい100円分の価値しかないのです。

だから、ただ、つめこんでもしかたありません。

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現実に、アメリカの高校では、「カンニングを容認」するようになってきているといいます。

情報化社会では、自分一人で考えたり、ただ覚えているということでは、二束三文の価値しかないといえます。

グーグルで検索できることは、基本的には無料なのです。

では、二束三文でないものとは一体何か?

それは、みんなのあらゆる意見を聞きまくって、それを消化したうえで「自分はこう思う」、また「自分の考えは違う」・・・そういう仮説を立て、仕事を作っていくという力です。

いまは、「答えのない時代」であり、知識をもっていることよりも、多くの人の意見を聞いて自分の考えをまとめる能力、あるいは壁にぶつかったら、それを突破するアイデアと勇気をもっていることが重要なのです。

というような内容が語られています。

大前さんらしいキツイ表現ですが、僕も、カンニングOKは大賛成です。

ただ、知識を「二束三文」は、少し言い過ぎかと。

最低限の「ベース知識」は必要で、そのためのつめこみは必要だと思います。

また、物事を体系的に捉えたり、課題解決をするトレーニングは必要だと思います。

そういったことも理解したうえで、知識を結集させてブレークスルーする力をつけたいですね。