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人間を理解するための読書

8月もそろそろ終わりですね。
毎年夏になると、ビジネス書じゃなくて、文学本をたくさん読むようになります。
(今年は忙しくて、まだちょっと少ないのですが・・・)

これは、夏休みの読書感想文の宿題というのが刷り込まれていることもあるでしょうし、その文脈に乗っかった「この夏の一冊」的な出版社の広告に影響されていることもあるでしょう。

ま、それはいいのですが、自宅の中庭で大人用のゴムプールに水を張って、ひとり浸かりながら文学小説を読んでいると、すごく贅沢な気分になるし、まだまだ自分が成長できるような気にもなるんですね。

これは、エンタメ小説じゃなくて、純文学じゃないとダメなんです。
とくに、海外文学ですね。
スコット・フィッツジェラルドとか、ジョン・アービングとかヘミングウェイとかのアメリカものから、コンラッドやヘッセや、ドストエフスキーなんかまで。

つまり、今の自分の生活に、ぜんぜん関係ない時代のもの。
これがポイントです。
自分の利害とか関心とかにまったく関係ない人々の言葉から、その発想や行動を理解することが大事だと思うのです。
まったく利害が無縁な、まったくの他人を理解しようとすること。
これこそが、動物の欲求や本能を超えた、人間ならではの力だからです。

要するに、人間が人間になるということは、他人を一生懸命に理解しようと努力することです。
だから、ドイツなんかのヨーロッパの学校制度では、古典を読むことこそが教養につながるとされているんですね。

さらにいうと、村上春樹の小説には、「人を理解しようと努力はするが、結局、他人は理解できないものである」という、さらに上をいくテーマが流れていて、だから「次こそは理解したい、次こそは理解したい」と、読み続けてしまうんじゃないかと思うのです。

などと、エラそうに語っていますが、要するに、いろんな人間に興味があるんですね。
だから、広告で人が動くということについても、とっても興味があるということです。

・・・と、結局、仕事の話に落ちてしまいました。
ということで、今日は、このへんで(^^