昨日、マッキンゼーに勤めている友人と飲みました。
友人と話をしていて気づいたことがあります。
論理的な思考をもっているひとでも、「広告」のことを、なにか「魔法の解決手段」のように考えているんだなあと。
広告業界では有名な「あたりまえのアダムス」という本があります。
ごくごく平凡な青年アダムスが広告業界に就職し、そのあたりまえの感性で、クライアントの課題を次から次に解決する、痛快な物語です。
- あたりまえのアダムス/ロバート・アップデグラフ
- ¥1,050
- Amazon.co.jp
- この本が書かれたのは、1916年(大正5年!)。
- 発表された当時、アメリカではこのアダムスが大人気となりました。
出版社には企業トップから、「実在の人物か?」「会わせてほしい」「仕事をたのみたい」との手紙が次々と送られてきたということです。
物語の中にこんなシーンがあります。
クライアント社長が、若いアダムスに、その商品について、まったくあたりまえのことしか説明していない広告コピーを提案されます。
がっくりしたクライアント社長にアダムスが説明を加えます。
「社長にはあたりまえかもしれませんが、私はそのことを知りませんでした。あなたは誰に向かって広告をするのですか? 同業者ですか? お客さまですか?」
そこで社長ははっと気づきます。
「そうか。広告は魔術ではないのだな。他のあらゆることと同じように常識の問題なんだな。」
ユーザー視点に立つということは、この「あたりまえ」の感覚がとても重要なのです。
最後に、本編にある、「それがあたりまえかどうか」を識別する5つのテストを記しておきます。
1.それは、単純か?
2.それは、人間に本性に反していないか?
3.短く簡潔に書くことができるか?
4.人の気持ちを動かすか?
5.機は熟しているか?