書評「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

村上春樹さんの新刊「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みました。
発売時に、僕がこの本を購入している場面が何度もテレビに映っていたらしく、巷で「あんな行列に並んでバカじゃないのか」と思われているかもなので、一応、言い訳させて下さい。

よく行く代官山蔦屋で予約を入れると、前日夜の福田和也さんを囲んでの読書会に案内されました。せっかくなので参加すると、そのまま発売カウントダウンイベントに流れていき、結果的に先頭から2番目に並ばされたということです。
なにも、寝袋を持って並んでいたわけではないので、誤解のないように(笑。

それにしても、マスコミではお祭りごとのように取り上げられていましたが、決して村上春樹さんの小説は、万人向けのものではないと思います。
一般的には「意味がわからん、くだらん」と評されながらも、一部の人たちに深く共感されるものです。
その一部の人たちとは、心に深い闇を持っていたり、癒えない傷を負っていたり、社会的には弱者と位置づけられる人たち(たとえ表面的には成功者だとしても)だと思います。

今回の作品は、「ノルウェイの森」や「国境の南、太陽の西」の裏テーマであった、「色彩」が表のテーマとして描かれています。
「ノルウェイの森」は、表紙の赤と緑もそうですが、キズキが乗っていたバイクは自殺した車は赤で、直子の死を表す白、「自分には緑は似合わない」という緑などが象徴的に登場します。
「国境の南、太陽の西」は、青い色をまとう島本さんと、赤い色をまとうイズミの対比が意味を持つ物語です。

今回は、周りが赤・青・黒・白と、カラフルな中で、主人公の多崎つくるだけが色がないという設定です。
高校生のつくるは、完璧に調和した友達5人グループに所属していましたが、東京の大学に進学したある日、突然仲間から切り捨てられます。
それによって心に大きな傷を負ったつくるが、16年の時を経て、過去の事実を解き明かしながら内閉からの回復を試みる物語です。

世の中には、その場の調和を優先するがために切り捨てられる人がいます。
物語には、生まれながらに6本指だった人が指を切り落とすというエピソードが、印象的にちりばめられています。
この物語は、何かの調和のために切り落とされた側の人たち、または誰しもが心の中に持っている6本目の指の話というわけです。

その6本目の指側に立たされた人の中には、緑川やシロのように、この小説で表現される「悪魔」や「悪霊」の伝染から逃げ切れない人たちもいます。
もしかすると、灰田もそのバトンを受け取ったのかもしれません。

もちろん、これまでの村上作品でお馴染みの、「こちら側の世界」と「向こう側の世界」をつなぐ媒介のような人物も登場します。
つくるに過去の事実を解くように勧める沙羅は、「ノルウェイの森」のレイコさんのようです。
つくるをクロのいるフィンランドのサマーハウスに案内した「つぶてのように硬い痰を吐く」老人は、「羊をめぐる冒険」で僕を鼠のもとに案内した羊男でしょう。

16年前の事実は、解明されていきますが、当時の5人の関係はもう戻ることはありません。
あれは、あのときの輝き。多くは時の流れに埋もれてしまったわけです。
しかし、その輝きは間違いなく現実としてあったものです。
つくるは、最後の結論に到達します。
「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ。僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」

過ぎ去ったものは取り戻せません。
「ノルウェイの森」の表現を借りれば、「自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くもの。失われた時間。死に、あるいは去っていった人々」のことです。

しかし、時の流れとともに、人は成長します。
その中で人は、「起きていることはすべて正しい」と気づく場面がくるわけです。
これまでの作品と同じく、この物語も、心に闇を持つ人たちを勇気づけるものだと思います。

ちなみに、個人的にはもっと深い闇が描かれるのかと期待していましたが、今回は現実的な範囲だったと言えるでしょう。しかしそれは、闇を掘り下げ続けてきた筆者のやさしさなのかもしれません。

ということで、今日はこのへんで。