村上春樹はなぜノーベル賞を獲れないのか?

村上春樹ファンの僕は、毎年、村上氏のノーベル文学賞受賞を期待しているのですが、残念ながら今年も見送りとなってしまいました。
恥ずかしながら、僕は莫言氏の小説を読んだことがなく、映画「紅いコーリャン」を知っているくらいですので、なんとも反論ができません・・・。

映画やネット上の情報をみると、莫言氏の政治的立場は、反体制派とはいきませんが、体制内批判者というところらしいですね。

そんなことから、匿名ブロガーのちきりんさんなどは、「過去の功績より未来の行動への提起としてノーベル平和賞が贈られはじめている、文学賞も同じことが言える」と言っています。

就任直後のオバマ大統領に授与したノーベル平和賞は、アメリカの大統領に戦争を起こさせないようにすることが目的とのこと。
今回、EUに対する授与も、過去の功績ではなく、「これから問題解決しろ」という意味が強いと。

そして、世界各国にいろんな摩擦を起こしている中国。
現在、体制内批判者である莫言氏への授与は、その後の彼の人権、言論の自由、芸術などに関する言動に期待しているのでは?というわけです。

こんなふうに、単に過去の功績をたたえるだけでなく、受賞者への抑止力だったり、その後の責任を背負わしたり、賞自体が能動的に時代の方向性を示唆していくということは、権威ある賞には見られるものです。
広告業界でいえば、カンヌなどはだんだんそんな傾向になっていますよね。
広告としての実効果だけでなく、「時代はこっちにいくんだ、だからまだ結果は出ていないけど、こっちを評価する。みんな、ちゃんとついてきなさいよ」みたいな。

まあ、権威ある賞だからこそできることで、その後の未来までも責任を負わなければならないくらい重いものなのでしょう。
ただ、これも行き過ぎると、世の中の人々の感覚とズレが生じてきて「えっ、なんで?」みたいな受賞劇になってしまいます。
ユーロ危機で世界中から富を奪ったEUへの平和賞授与なんて、ほんとギリギリかもしれませんね。

そもそも村上春樹文学の世界感が、政治だとかとのコミットメントを拒否して、デタッチメントを肯定する個人主義の追求なので、ノーベル賞のこういった政治的判断にはなじまないものなのでしょう。
ま、もはや、賞を穫ろうが穫るまいが、世界の村上氏への評価は変わらないところまで来てますよね。

ということで、これから「ねじまき鳥」の再読に入ります。
今日は、このへんで(^^