それぞれの立場での2年目。

東日本大震災から1年。
それぞれの立場で、再生2年目に向けて歩み始めたわけですね。

テレビ、新聞など、当時の振り返りや今後の展望については様々なところで報道がされています。
なので今日は、僕個人としてのあの日を思い返してみようと思います。

昨年の当日、その時間、僕は社の14階で講演をしていました。
恥ずかしながら、話すのに一生懸命で最初は揺れに気づきませんでしたが、参加者の様子がおかしいので、振り返って資料が映写されている方を見ると、スクリーンが目の錯覚かと思うくらいおそろしく波打っていました。

さすがに異変に気づき、窓をみるとお台場方面から煙があがっていました。
講演は、あと10分で終わりでしたが中断終了。エレベーターもすべて止まっていて、100人以上の講演参加者が階段で自席に戻ることになりました。

40階以上あるビルなので、階段も大混乱。
やっと自席に戻ってから、ニュース報道や、社のメディア担当者や、ツイッターでの情報、交通情報などで徐々に状況の深刻さが分かってきました。
しかし各所に連絡しようにも電話が通じない。
これでは、仕事にならないと早々に帰る人も出てきました(交通機関のストップによって、結局その人たちも帰宅に苦労したわけですが)。電車も動いてないし、タクシーも捕まらないから、朝まで飲むぞという人もいました。

僕は、翌日にCMの撮影作業も控えていてその判断も含めて深夜まで会社にいたのですが、電話も通じたり通じなかったり。
しかし、ネットの連絡網は生きていました。
僕は、合間の時間を見つけては、ツイッターで帰宅困難者に役立つような情報をツイート、リツイートし続けました。
「どこどこの場所で休憩できるようだ」
「◯◯線が、◯時に動き出した」
当時、フォローしていただいた方は2500人くらい。どれくらいの方が見ているかは分かりませんでしたが、でもとにかくツイートとリツイートを続けました。

これまでは、このような大きな災害のニュースがあっても、自分には何もできないというあきらめのような無力感がありました。
でもソーシャルメディアを前にして、わずかながらでも「情報を見つけて拡散する」「人をはげます」というような、僕にもできることが見つかったように思ったのです。

社には朝まで飲んでいる人も、テレビの編成変更で寝ることもできない人も、さとなおさんのようにすばやく官邸に情報サイトの整備を提案しにいった人も、いろいろいました。
僕は土日ともに仕事を抱えていて、その判断と実行でいっぱいいっぱいでした。
でも、とにかくツイッターに向かって、自分にできることからやるんだと夜中じゅう情報を探し続けました。

あれからやっと一年、今でもできることは、ほんのわずかでしかないです。
でも、あのとき一度気づいたこと、とにかく自分にできることからやるという気持ちは変わりません。

それぞれの2年目、それぞれの立場での目標を掲げながらも、その思いはひとつですよね。
今日は、このへんで。