「尖閣映像流出」にみるソーシャルメディアの力

先日、尖閣事件映像がYouTubeに流出した事件で、その犯人探しやら、国家機密の管理体制やら、いろいろな角度から、議論がされてます。

しかし、どれも目先の対応ばかりで、「なんかズレてるなあ」と思ってしまうのですがどうでしょう?

ここでは、ソーシャルメディアの浸透によって、「そもそもそういう時代になっているのだ」という視点で考えてみたいと思います。

これまで、大多数のマスコミや、政府の主張では、「インターネット上の情報はマスメディア情報を加工したものでしかない」という認識がありました。

ソーシャルメディアには「情報を生み出す力がない」とする考え方です。

しかし今や、個人個人が一次情報を発信し、ソーシャルメディアを経由してマスメディアのニュースソースになるというケースもめずらしくなくなりました。

最も有名で象徴的な出来事は「ハドソンン河の旅客機不時着事故」でしょう。

2009年1月、USエアウェイズがハドソンン河に不時着陸するという事故がありました。

同じハドソンン河をフェリーで通勤していた一般人がこれをiPhoneで撮影してツイッターに投稿したため、このニュースは、あっと言う間に世界中を駆け巡りました。

56816137.jpg

これは、テレビなどのマスメディア報道より断然早かったのです。

これらの注目すべき点は、一般の人がプロのジャーナリストのマネごとをしようとしたわけではないということです。たまたま現場にいた一般人が、結果としてその役割を果たしたということです。

ここにソーシャルメディアの本質的な意味があると思うのです。

僕たち生活者の誰もが、何らかの一次情報の震源地に立ち会っています。

これまでの情報の流れは、マスメディアからのトップダウンという一方向でした。

しかし、ソーシャルメディアは、一般の人々からのボトムアップ情報こそに一次情報が含まれており、それこそが本当に有益な情報であることに気づかせてくれました。

人々が一次情報を発信しようとするモチベーションは、何より「正義」だと思っています。

(中には、嫌がらせ的なものもないではないですが、そういうものは受け手が拒絶しますよね)

国家機密も分かりますが、それが人々の「正義」に反した動きであると、すぐに反乱が起きます。

国も政府も、犯人探しもいいですが、ソーシャルメディアの浸透によって、もはやそういった社会に転換しているのだということを、もっと認識するべきかなあと思ってしまいました。