広告が「アート」にならないように

明日、カンヌ国際広告祭に参加するため、フランスのニースに出発します。

向こうでは、いろいろと刺激になるインプットができると思いますが、これだけは絶対に自分の目で確認したいと思っていることがあります。

それは、「広告は『アート』になってないよね」ということ。

人類の発展を支えてきたあらゆる技術・手段は、その機能的な目的を失うと、「アート」、つまり芸術になってしまいます。

例えば、絵画。

写真の発明以前、絵画はコミュニケーションの手段でした。

国王の肖像画を伝達したり、世相を次世代に伝えたり、建築や人体などを写実的に表現する手段でした。

ミケランジェロや、ダ・ヴィンチなどが大活躍しましたよね。

でも、写真が発明された今日、絵画は写実性とはほとんど絶縁したアートとして存在しています。

活躍する人は、ピカソやゴッホの後継者です。彫刻もそうです。

京井良彦の「3分間ビジネス・スクール」-picaso

また、詩(ポエム)もですよね。

印刷技術が発明される以前は、物語を世代から世代へ伝える手段は口承伝達でした。口承伝達のためには、韻を踏んでいる散文形式のほうが覚えやすかったのです。

でも、詩も、グーテンベルグの印刷発明のあとは、アートとしての存在になりました。

バッキンガム宮殿の衛兵は、軍事の役目を終えて、アートとして存在しています。

馬という移動手段も、自動車が発明されてからは、実務的な機能を失い、馬術というアートになりました。

電球が発明された後のロウソクもそうです。

そして、「広告」です。

インターネット以降、生活者同士がつながり合って情報交換をするようになりました。

必要なときに、必要な情報をいつでも引き出せるようになりました。

そんな環境で、もし、広告がそのコミュニケーション手段としての役目を終えてしまったなら、それは「アート」としてしか存在することができません。

カンヌが、広告を「アート」として評価をするようであれば、つまり広告はもう終わりということです。

でも、ここ最近のカンヌ・ライオンを見ていると、昨年の「オバマ大統領選挙キャンペーン」のように、コミュニケーションの本質を評価しているように見えます。見たいと思っています。

だから、個人的には「広告はまだやれる」と思っているのです。

(まあ、一昨年の「チョコレートのゴリラ」だけはいまだよくわかりませんが・・・)

というような想いを抱きつつ、ちょっと寝たら成田に向かいます。

向こうのネット環境がよくわからないので、現地から情報発信できるかどうか、やや不安なのですが、とにもかくにも行ってまいります。ではでは。

2 COMMENTS

京井良彦

>自分を変える 夢を叶える ことに奮闘中@上田真司さん
コメントありがとうございました!
広告をアートにしないことを使命にしています。
これからもよろしくお願いします。

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